この記事を見て思ったこと
https://qiita.com/sakai1250/items/8d90b7320bcd1c8aba9e
確かにLoop Transformerなるものが存在すること、それがどういう問題意識で研究されているのか、といったことを知れたのはよかった。
ただあまりに内容が生成AI然としていて、しんどかった。同じような説明が、ほぼ同じ形で何回も繰り返されたり、議論があちらこちらに飛んで話の筋に一貫性がなかったり。もしかするとそういった具体的な部分だけではないのかもしれないけれど、とにかく読んでいて不快だった。
それに比べるとこちらの記事は(たとえAI生成部分が入っているかもしれないとしても)、確かに後半に蛇足感を感じるけれど、ストーリーが人間の頭のなかで拵えられている感じがして読みやすかった:
https://qiita.com/miruky/items/6577a57b9b62c8f97e11
正直なところ、前者のようにAI生成の(そしておそらくあまり推敲できていない)記事を投稿する人の心理が、よくわからない。いい情報だと思うなら、上手い下手にかかわらず他の人に届く形でパッケージングしてほしい。その手間すら惜しむというのは、「自分は興味ないけれど、記事を投稿しないといけない」というような何らかの責務を課されている、ということなのだろうか?
ただ考えてみると、自分も生成AIとの対話を他の人と共有したりすることはある。その場合との違いを考えると、生成されたものが多少なりとも「自分自身とチャットボットとの対話」の形をとっているからなのかな、と思う。あくまで「問題意識を持った人間が、魔法の鏡のような謎検索エンジンに問いかけている」というフォーマットなので、「道筋がはっきりしている」と感じるのかもしれない。上の記事では、投稿者が何を考えていて何を問いかけたのかが見えないから、もやもやしているのだろうか?
結局答えは出ないのだけれど、もしかすると「人間が拵えたように見える記事」には、「予想される読者との対話」が埋め込まれているのかもしれない。明示的に問いかけを書く場合やツッコミ役との掛け合いで書かれる場合もあるし、そうでない場合でも、書いている人の頭の中では常に「読んでいる人の反応」が想定されていて、それに応じた書き方がされているように感じる。おそらく今の大規模言語モデルでは、まだ長い記事の中でこうした対話性(最近覚えた単語で言うと「共在性」)をエミュレートするまでには至っていないのかもしれない。
それはそれとして、上の記事の中で「個人的には」という所感が出てくるのが、実際には誰の所感なのだろうかと、少し気になる。AI生成に投げっぱなしの投稿者に対して大規模言語モデルが精いっぱい共在性をアピールしている、と考えると、少し切ない。